シルバーバーチと歩む真理実践の道

アクセスカウンタ

zoom RSS 11月読書会

<<   作成日時 : 2013/11/24 15:34   >>

トラックバック 0 / コメント 0

11月の関東シルバーバーチの会の読書会に参加いたしました。
以下に、学んだ内容からいくつかをご紹介します。学習内容は『シルバーバーチは語る』第20章と、「真理を知るか知らないかで死に直面したときどう違うか」です。




◇死に直面したときの人間模様◇

死に直面したとき、真理を知るか知らないかでどう違うかを学びました。
この違いは霊界に行ってからがさらに顕著になります。
スピリチュアリストは霊界に行くとすぐに目覚め、人類のために働くことができます。しかし、真理を知らない者は霊界に行ってから霊的な自覚を持つことになり、霊界生活に馴染むには時間がかかります。


(1)スピリチュアリストのカップル、家族の場合

死は肉体からの解放であり、霊界への旅立ちである。旅立つ者・送る者ともに地上生活を振り返り、地上で最高の宝・霊的真理が与えられ、それによって価値ある霊的人生が送れたことを神に感謝する。祝福の思いと平安の中で死の時を待つ。


(2)片方がスピリチュアリストの場合

一方にとって死は喜びだが、もう一方にとって死は恐怖。前者は後者に対して精一杯の慈愛で接し、相手の霊的覚醒を願い神に導きと援助の祈りを捧げる。

※真理を知る者と知らない者との間には死の捉え方に大きなギャップがあり、死を目前にしてもそのギャップは埋まることはない。それゆえ(1)のようにはいかないが、片方が知っているので死を心安く迎えられる場合や、ときにはこれが霊的成長のチャンスになる場合もある。


(3)一般のカップル、家族の場合

死んだら終わると思っている二人にとって死は全ての終わりであり、何としても生命をとりとめようと必死になる。これまでの幸福感は消え、死を迎えるまで苦しい時間は続く。だが、見送る側の苦しみは死後も続き、立ち直りには時間がかかる(ただし、真理がないかぎり本当の立ち直りはできない)。

※スピリチュアリズム的に見れば、肉体生命が危機に直面したときこそ霊的覚醒のチャンス。そのチャンスを逃さず真理普及による霊的救いをしていくことが大事。真理普及こそが真の霊的救いであり、根本的な救済になる。




◇ 『シルバーバーチは語る』 第20章 ◇ P349〜363

◆シルバーバーチによる“キリスト教のイエス観”の否定
イエス自身は完璧な生き方をしたわけではなく、時代の慣習に従わざるを得ませんでした。よって、イエスは神ではなく、人の子だと見る方がイエス自身は大変喜ばれます。私たちはイエスの生き方(霊主・利他愛で生きる)を見本とすべきです。



◆自由意志の法則
自由意志は摂理の一環であり、神の愛から作られています。なぜなら、使い方次第で霊的成長が促されるからです。また行使範囲が定められているのは、摂理によって人間を守るためです。(例えば親は、幼い子に2階の部屋を自由に歩かせても、階段から落ちて怪我をしないよう柵を設けて守ってやることと同じです。)



◆善悪観
善と悪は自分で決めます(病気になり心が挫けてしまえば病気は悪、成長の糧にするなら病気は善になる)。この世にサタンはいません。シルバーバーチは善悪観に対して画期的見解を示したのです。

・キリスト教の善悪観(イエスを信じれば救われる)
サタンの働きかけ → 悪い思いを持つ → 悪が発生
神の働きかけ    → 善い思いを持つ → 善が発生
善と悪の戦い ⇔ 神とサタンの戦い

・スピリチュアリズムの善悪観(自己責任の法則)
肉>霊 → 利己心 → 悪なる思い → 霊的成長できない(悪)
霊>肉 → 利他心 → 善なる思い → 霊的成長できる(善)



◆罪の償い
キリスト教の“イエスを信じれば救われる”は間違いです。罪を犯したら、堂々と償うことが大切です。地上界は過ちを通して学ぶ場所であり、過ち自体は決して悪いことではないのです。




テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

11月読書会 シルバーバーチと歩む真理実践の道/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる